新海誠

2016年09月22日

新海誠さんの映画『君の名は。』を観てきた。

実のところ、付き合っていた彼女との、『君の名は。』感想トークをきっかけに、
突如として別れ話を切り出され、連絡を拒否されたまま今に至っている。

誰だよ、観たら結婚したくなる作品とか言ってた奴

そういう個人的なトラウマもあって、正直なところ、作品を正当に評価できない。

だから、「ココが良かった!」とかを語るには、どうも気分が乗らない。

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ともあれ、『君の名は。』がここまでの話題作になっていることは、
新海誠ファンの1人として純粋に嬉しく思っている。

もちろん、息を呑むほど綺麗な映像と音楽も魅力のひとつだけれど、
ストーリーだって、登場人物だって、すっごく魅力的だ。

『君の名は。』は、監督・脚本の新海誠さんご自身による小説版と、
もう1冊、加納新太さんという方による外伝小説が出版されている。

小説 君の名は。 (角川文庫)
新海 誠
KADOKAWA/メディアファクトリー
2016-06-18








外伝小説では、勅使河原や四葉、あるいは三葉の父といった人々に焦点が当てられる。
映画本編に登場するキャラクターや、糸守という舞台を深く掘り下げた作品だ。

本編を十分に楽しんだけど、まだ想いを消化しきれない人にこそ読んで欲しい。

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ところで、外伝小説を執筆した加納新太さんという方。
新海誠作品のノベライズ版は今回で4作目と、半ばお馴染みの方でもある。

秒速5センチメートル one more side [単行本]
ほしのこえ あいのことば/ほしをこえる [単行本]
雲のむこう、約束の場所 [単行本] 

普段は(?)、小説家として、漫画やアニメ、TCGのノベライズ版を主に執筆されている。

今回の『君の名は。』では、脚本協力としてスタッフロールにも登場しており、
ただのノベライズ版作者、を超えて、より密に作品にコミットしていたようだ。


加納新太さんが脚本協力で携わっていると知って、
『君の名は。』に感じた、うまく言語化できなかった魅力の1つが腑に落ちた。

世界はイマ、ココ、2人だけでは回らない、ってことだ。

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加納新太さんの魅力が最も発揮されてるのは、
彼のブログ記事 「ドラクエ6」が本当に目指したもの だと、勝手に思っている。

ドラクエ6の世界で「語られなかった謎」、あるいは物語のスキマを、
加納新太さんが想像力をめいっぱい拡げて、推理(ないしは空想)している。

ドラクエ6をプレイしたことのある人だったら、
まずは何も言わずに先のブログ記事を読んでほしい。

当ブログは一刻も早く閉じよう。


加納新太さんが先のブログ記事でやっているのは、
語られなかった物語の空白を想像して、世界の謎を解き明かす、とてもワクワクする作業だ。

このNPCは、どうしてそんな行動をとったのか?
このイベントには、どんなメッセージが込められているのか?

プレイヤーが体験する、もやもやの向こう側を1つ1つ立ち止まっては考えて、
そうした「あ、そうか!」を積み重ねていくことで、自分だけが気づける世界の秘密に迫る。

人生で最初にプレイしたドラクエが6だった私にとっては、
彼が真の姿を明らかにしていくドラクエの世界が、まるで麻薬のような快感だった。


ドラクエ6をプレイしたことがない人には、「何のことやら」かもしれない。
そういう方にも、私の感じた興奮がちょっぴりでも伝われば、それでいい。


彼のドラクエ6ブログに言いようもない快感を覚えた同志諸君には、
「ゲームをする体験」と「ゲームの物語」の関連性について書かれた、

サマルトリアにいかづちの杖
【ドラクエ3】さばきのつえが愛しい
大人になってからプレイするドラクエ4
【ドラクエ・ロト三部作】ローラ姫と精霊ルビスの謎

などのブログ記事も読んで欲しい。ドラクエの世界観への深い愛情を感じる。


残念ながら、新海作品の他は『ハヤテのごとく!』しか知らないけれど、
加納新太さんにノベライズ化される原作は幸せだろうな、と、心から思っている。
 
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『言の葉の庭』も、『秒速5センチメートル』も、『ほしのこえ』も、
結局のところ、恋に落ちた1組の男女の物語だ。

イマ、ココに2人さえいれば、世界は回る。
雨も、桜も、宇宙人も、みんな背景でしかない。

そういった背景装置を通して2人の感情を描くのが、新海さんの魅力でもある。


けれども、『君の名は。』の世界は、瀧と三葉の2人だけじゃない。

瀧と三葉の2人に焦点を当てながらも、
2人の外側にある関係(それこそ”ムスビ”)を、すっごく大切にしている。

小説版の『言の葉の庭』にも若干似たようなことを感じたけれども、
『君の名は。』はそれ以上に、生きている世界のうえで語られる物語に思えた。


三葉と四葉の父親なんか、最たる例だ。
映画では一切語られなかったけれど、彼には彼の歴史と物語を感じさせる。

もっとチープな例を挙げるならば、「ユキちゃん先生」だろうか。
新海誠さんの前作『言の葉の庭』を知っている人なら、
彼女がなぜ糸守にいるのか、孝雄とはどうなったのか、想像せずにはいられない。 

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そして、『君の名は。』の世界の語られない裏側に、
確かな奥行きを与えた原動力こそ、脚本協力の加納新太さんなのかもしれない。

新海さんの広げた世界観が、加納さんの手によって深みを増していく。

それこそ、堀井雄二さんが広げたドラクエの世界観を、
加納さんが想像力豊かに解き明かしていったように。

私には「脚本:新海誠・加納新太」にさえ思える作品だった。


結局のところ、私がトラウマを棚に上げ、ダラダラと長文を書いてる動機は、
『君の名は。』に託けて、ドラクエ記事を紹介したかっただけだったりする。

それでも、 世界の謎を解いていく快感は、癖になる。

そして、『君の名は。』は、これまでの新海作品でいちばん、謎を解きたくなる物語だった。 

2014年04月13日

小説『言の葉の庭』を読んだ。

『秒速5センチメートル』などでお馴染みの、新海誠さんの作品。

2013年の梅雨どきに、映画『言の葉の庭』が公開されたが、
ほぼ1年経った今月、新海誠さん本人の手による小説版が発売に。

小説 言の葉の庭 (ダ・ヴィンチブックス)
新海 誠
KADOKAWA/メディアファクトリー
2014-04-11






小説版では、孝雄と雪野以外のキャラクターにもスポットが当たる。
そして、それぞれのキャラクターの過去や行動が深く掘り下げられている。

孝雄の中学校時代の恋人や、雪野の学生時代の話。
孝雄の高校の担任の先生や、雪野を虐めた女子生徒の話。

どれも、映像版では書かれなかったエピソードだ。

映像版では、孝雄のお兄さんの彼女なんてモブキャラもモブキャラだ。印象に残ってない。
雪野を虐めてた相澤にしたって、「小松未可子の無駄遣い」くらいにしか思わなかった。
孝雄のお母さんの職業が大学職員とか知らなかった。水商売だと思ってた。

登場人物の1人1人が、映像では思いを馳せることのなかった葛藤を抱えている。

小説版では、時間と空間がすごくすごく広がって、世界が「生きている」感じがする。




とはいえ、小説版では物語の解像度がガクンと落ちている。

同じカメラを使って、同じ1枚の葉の写真を撮ろうとしても、
1枚の葉に近づいて撮ったのと、遠くから撮って1枚だけ拡大するのとでは、
どうしても画質の粗さが変わってくる。

小説版は遠くから描いていて、世界がいっぱいに写っている。
でも、描かれた2人はちょっとだけぼやけて見えちゃう。

映像版はずっと近づいて描いていて、世界には2人しかいないかのよう。
でも、その世界はずっと鮮やかに描かれている。


その最たる例が「雨」だと思う。

小説版の世界に降る雨は、ただの背景でしかない。
どんなに言葉を尽くしたところで、雨の日の庭園の空気を伝えるには全然足りない。

映像版の雨は、新海誠さんに「3人目のキャラクター」って呼ばれるほどに大切な存在なのに。


たぶん、小説版と映像版は、世界を描く視点が全然違うんだ。

小説版は、言の葉の生い茂る庭を描いた作品。
映像版は、言の葉の庭にある2枚の葉だけを描いた作品。

上手く言えないけれど、そういう印象を受けた。





けれども、小説版と映像版の違いは「世界を描く視点」だけじゃない。
というより、「孝雄」「雪野」という人物そのものが全くの別人だと思っている。 

その最たる例が、この物語の結末だ。
両者は180度異なっている(と、ボクは思っている)。 


映像版のラストは、2人が出会った年の冬で終わる。

故郷で教師になった雪野から手紙が届く孝雄。
完成した靴を持って庭園を訪れ、「もっと成長したら会いに行く」的な決意表明をして終わる。
(それでもって、完成した靴を庭園に置いていくような描写も。ココは映像を見直したけど分からず。)


小説版の孝雄が靴を完成させるのは、2人が出会った5年後だ。

雪野は映像版と変わらず、故郷で教師に。
孝雄はその後、靴職人を目指してイタリア留学をする。
そのあいだ、2人は手紙やメールで2ヶ月に1度のやりとりが続いていたらしい。

20歳になった年に孝雄は日本に帰国し、雪野と再会を果たす場面で物語は終わる。


実は、映画館で『言の葉の庭』を見た時、2人は決して幸せにならないと思った。

ボクは『秒速5センチメートル』が大好きだが、
それは、貴樹が抱え続けてきた葛藤を昇華させることなく描いたからだ。
あるいは、貴樹と明里の幼い決意が風化していく様を無情にも描いたからだ。 

孝雄と雪野の行き着く未来は、間違いなく『秒速』の貴樹と明里だと感じていた。
(これは、ボク自身の実体験による影響が多分に含まれているけれど)


だから、小説版の2人が再会したのは意外で仕方ない。蛇足にさえ思える。


2つの異なる世界は、2人が思いをぶつけあうまでおんなじ道を歩んでいた。
孝雄が雪野と出会った年の冬に1足の靴を作るまで、物語の世界はまだ1つだった。

けれども、この後の孝雄は運命の分かれ道に立っていたらしい。

映像版の孝雄は、その靴を持って庭園に行く(そして、庭園に置いていく)。
小説版の孝雄は、靴の出来を母親に見せ、忌憚のない感想をもらう。

映像版では、この靴が「雪野に作った靴」として劇場に展示されるくらいだ。
でも、実は小説版で雪野のために作った靴は別物(さらに修行を重ねたあとのもの)。


ここに、共存できない2人の孝雄がみえてくる。

映像版の孝雄は、作った靴を庭園に置いていくし、
きっと手紙の返事も出せなかったんじゃないかと思っている。
それこそ『秒速』の貴樹くんみたいに、恋愛感情を変にこじらせちゃいそう。

小説版の孝雄は、靴を作り続ける。連絡も定期的に取っている。 
夏休みに理由をつけて庭園に行かなかった自分を、いい意味で捨てた孝雄だ。
雪野の前でも、カッコ悪い自分、成長中の自分を見せることを嫌がらない孝雄かも。

そして、お察しの通り、ボク自身は映像版の孝雄に近いタイプの人間である。
だから小説版の(ちょっと大人な)孝雄に感情移入できず、ラストを蛇足に思ったのかも。



長々と書いたが、そろそろ収拾がつかなくなってきたので終わろう。
結局のところ、「遠恋中の彼女には定期的に連絡を取ろう」ってのがオチみたいだ。



【2016.09.26 追記】
映画・小説版『君の名は。』の感想記事も書いたので貼ってみる。
『君の名は。』感想 ―世界の深みと、もう一人の脚本担当―

『君の名は。』は、これまでの新海作品と違って(?)サブキャラクターにも力が注がれてる。

けれどもも、「彼」と「彼女」以外の2人で完結しない世界を表現するようになったのは、
この記事で紹介した、小説版の『言の葉の庭』からじゃないかと思ってる。

『君の名は。』では、周囲の世界がより深みを増して鮮やかになった。

小説版『言の葉の庭』での挑戦が、『君の名は。』にも繋がっているんだろう。

それをどう捉えるかはさておきとして。